SWOT分析

幕末SWOT【海援隊】組織が解散してもパーパス(志)は達成される

組織が消失しても志は生き続ける

前回の新選組との比較対象として、組織のパーパス(志)に賛同したメンバーたちの事例となる海援隊を取り上げたいと思います。

海援隊は、土佐の脱藩浪士である坂本龍馬を中心に設立された組織です。

元々は、薩摩藩をバックにした海運事業の組織として長崎を本拠に亀山社中と名乗っておりました。

武士が商売するのが珍しい時代に、武士身分の者たちを中心に、船を使い貿易や運送などで利益を得る事を目的としていました。

この開運事業の傍らで、日本の政治体制の改革を側面支援する事も目的としていた特殊な組織です。

志を同じくするものであれば参加を拒まないのが特長です。

出身地はもちろん、身分も問わないという江戸時代では珍しいスタンスでした。

海援隊は、薩長連合に深く関わりながらも、リーダーの坂本龍馬が1867年に暗殺されたのち解散となります。

しかし、海援隊のパーパス(志)に賛同して参加したメンバーたちは、その後もその志に則した活動を続けていきます。

今回は、組織が消失しても、志は個人の元で残り続ける事例として海援隊を分析してみたいと思います。

 

亀山社中&海援隊の成り立ち

幕府の神戸海軍操練所の解散に伴って、薩摩藩と長崎の商人の後援を得て結成されたのが亀山社中です。

この頃は、薩摩藩などから資金援助を受けてしますが、まだ脱藩浪士たちの寄せ集めの私設団体でした。

最近では、亀山社中という名称も、当時は名乗っていなかったとも言われています。

この亀山社中と呼ばれる期間は、1865年に結成されて、海援隊へと名称が変更される1867年のわずか3年間です。

ただ、海援隊が1年ほどで解散となるため、実際は亀山社中としての活動の方が長い。

第二次長州征伐で、龍馬たちが長州藩のユニオン号に乗船して幕府軍と戦ったのは、この亀山社中の時代になります。

その戦いの後に、龍馬の出身である土佐藩からの支援を受けて、土佐藩の外郭団体「海援隊」と名称変更し、正式な組織となりました。

ガンダムの逆襲のシャアに出てくる連邦軍の外郭団体のロンドベルようなイメージでしょうか。

政府からの支援を受けつつも目的に対して独立した活動ができる点が似ている気がします。

事業内容に大きな変更はありませんが、龍馬たちが土佐藩から脱藩を許された事で、より国事に奔走できる環境が整いました。

海援隊の特徴は、貿易や開発など商社的な活動に加えて、軍艦による軍事的な活動も行う点です。

それは、まるで、イギリスやオランダの東インド会社、ロシアの露米会社のような事業内容でした。

龍馬および海援隊は、当時の列強の海外活動を支えていたこれらのような組織を目指していたのかもしれません。

 

海外に通用する人材育成というパーパス(志)と海援隊約規

この海援隊への参加に関し「海援隊約規」では、「本藩を脱する者、および他藩を脱する者、海外の志のある者、この隊に入る」そして「運輸、射利、投機、開拓、本藩の応援」とされています。

また「隊員は、政治、法律、鉄砲取扱い、航海、蒸気機関、機械、語学を修学する」事を求めれています。

この隊規を見る限り、海援隊のパーパス(志)は、海外に通用する人材育成だと思われます。

そのため、海外の志があれば、出身地だけではなく身分も問わないとされていました。

海援隊のパーパス(志)に賛同する事が、組織への参加基準とされている点がポイントです。

名前 出身 身分
坂本龍馬 土佐藩 郷士
長岡謙吉 土佐藩 医者
菅野覚兵衛 土佐藩 庄屋
近藤長次郎 土佐藩 饅頭屋
関義臣 福井藩 陪臣
山本洪輔 福井藩 医者
陸奥宗光 和歌山藩 武士
白峰駿馬 長岡藩 武士

出身地は、さすがに龍馬を中心に土佐藩が多いのですが、福井藩など他藩からも参加しており、身分においては武士から饅頭屋まで多種多様でした。

地域や身分への意識が強い江戸時代において非常に珍しく多様性を感じます。

江戸時代は中央集権国家ではなく、藩が一つの国のように独立した体制でしたので、他藩から集まる海援隊は、まさに現代のグローバル企業のようです。

この多様性を生み出すベースとなっているのが、海援隊のパーパス(志)です。

参加メンバーそれぞれが自分なりの志を持っており、それに合致した志を掲げている海援隊に参加している点が特長的です。

 

海援隊の解散とその後のメンバー

1867年に、京の近江屋で、隊長の坂本龍馬が暗殺された事もあり、土佐藩の指示により翌年海援隊は解散となります。

組織が消失したことで海援隊としてのパーパス(志)は消失しましたが、隊員たちは自分たちが持っているパーパス(志)の元でそれぞれが活動をしていきます。

菅野覚兵衛や坂本直、山本洪輔、渡辺剛八たちは、それぞれのタイミングで東北や北海道の開拓に関わりました。

白峰駿馬は、海外留学後に造船所を設立し自身で事業を興しました。

開拓に挫折した者は多かったのですが、結果はともかく、隊員たちは、明治になってからもパーパス(志)に沿った行動をとりました。

一方で、中島信行や石田英吉のように国家のため政治家となるものもいました。また法律家となった野村維章がいます。

海援隊の隊規には政治、法律を学ぶ事も決められていたので、大きく外れたものではないと思います。

その中でも、陸奥宗光は、外務大臣として日英通商航海条約を締結し、幕末以来の不平等条約である領事裁判権の撤廃を成功させました。

幕末における海外の志の始まりともいえる徳川幕府が結んだ不平等条約解消の足掛かりを作りました。

また、海援隊を外側から支えていた岩崎弥太郎は、維新後に海援隊の土居市太郎と九十九商会の立ち上げに参加し、その後の三菱商会の経営者となり、現代の総合商社の三菱商事の基礎を作りました。

海援隊は消滅しましたが、それぞれが独自で海援隊のパーパス(志)を実現していました。

まとめ

海援隊のパーパスに賛同し参加した隊員たちは、隊が消滅した後も、自らのパーパスの元で活動を続けていきました。

それが結果としては、海援隊が掲げていたパーパスをそれぞれの形で実現した事になります。

新選組のように勢力拡大を急ぐあまり志が同じでない者を集めると、結果的に内部抗争や粛正が起きてしまい、組織の崩壊を招き組織のパーパスもろとも消失します。

逆に、海援隊のように志が同じものたちが集まると組織が崩壊しても、それぞれが志を持って活動していく事で組織のパーパス(志)が実現されました。

ということは、組織と個人のパーパス(志)に親和性が高い時、メンバーは自分事としてモチベーション高く日々の業務を取り組んでいけるのかもしれません。

昨今、若者たちの会社を選ぶ判断基準が働き甲斐へシフトしている中、組織のパーパスに合った人材採用が重要になってくると思います。

そう考えると、海援隊は人材の多様性も含めて、近代的な組織だったようです。

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