戦国SWOTが書籍化。「SWOT分析による 戦国武将の成功と失敗」10/1発売予定

2021/8/17

戦国SWOTが書籍化。「SWOT分析による 戦国武将の成功と失敗」10/1発売予定   当ブログで発信してきた戦国SWOTが、ビジネス教育出版社より「SWOT分析による 戦国武将の成功と失敗」として10/1に発売予定です。 戦国SWOTは、「戦国時代×経営者=戦国武将」として、戦国武将の生きざまから現代のビジネスや経営の参考になる知見を見つけ出す事を目的としています。 多くの戦国武将を、現代のビジネスフレームワークのSWOT分析などを使って、分析・考察してきました。 有名な伊達政宗からマイナーの ...

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関ヶ原編【吉川広家の選択】過去の成功体験の呪縛で失敗

2021/8/11

吉川広家の選択によって大減封を受けた毛利家の苦難 毛利家は、三本の矢の逸話で知られる毛利元就が、一介の国人領主から身を起こし、中国地方に覇を唱えました。 長男の隆元に先立たれますが、次男の吉川元春、三男の小早川隆景の二人が、遺児の輝元を支える体制、俗に言う毛利の両川体制で毛利家の勢力維持に努めます。 隆景たちの適切な判断や交渉により、豊臣秀吉との良好な関係構築に成功します。 そして、中国8ヵ国にまたがる領国を安堵され、豊臣政権の強力なパートナーとなります。 関ヶ原直前の毛利家は、秀吉亡きあとの豊臣政権を支 ...

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【伊達政宗】第三代将軍の徳川家光をファンにした独眼竜ブランド

2021/8/17

伊達政宗の独眼竜ブランドを活用した生き残り戦略 南奥州の覇者とも呼ばれる伊達政宗ですが、年齢的には織田信長の孫の織田秀信と近いので、信長や秀吉よりも三世代も若い戦国大名です。 若手のイメージの上杉景勝や武田勝頼よりも、かなり若い上に、20代で当主として独り立ちして活動をしています。 織田信長 1534年生まれ 豊臣秀吉 1537年生まれ 上杉景勝 1556年生まれ 毛利輝元 1553年生まれ 織田秀信 1580年生まれ 伊達政宗 1576年生まれ   若干23歳の伊達政宗が南奥州を制覇したころに ...

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関ヶ原編【小早川家臣】アルコール依存症の秀秋を支えた家臣たち

2021/8/11

天下分け目の戦いの中での部下たちの決断 小早川秀秋というと、天下分け目の関ヶ原の戦いで、西軍から東軍に寝返り、徳川家康による権力掌握を決定づけた張本人として有名だと思います。 関ヶ原の戦いでの貢献度から、備前51万石の大領を得たものの、1602年に21歳で急死してしまい、無嗣断絶となり、小早川家は取り潰しとなりました。 アルコールによる内臓疾患、肝硬変が原因だと言われていますが、死因ははっきりとしていません。 ただ、アルコール依存症になったのも、豊臣家の後継者候補であった事で、幼少のころから酒を伴う接待を ...

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関ヶ原編【黒田家の野望】秀吉死後の生存戦略の成功と失敗

2021/8/11

豊臣政権という市場での優位性確保を目指す黒田官兵衛 豊臣政権の樹立における初期段階において、諸大名との取次を行う秀吉の側近集団がいました。 豊臣秀長や千利休、杉原家次、蜂須賀正勝、浅野長政たちの中に、黒田孝高こと官兵衛も属して、豊臣家の譜代大名として政権運営を援けていました。 官兵衛は、毛利家との外交交渉に、蜂須賀正勝とともにあたったことで、その後、毛利家中の小早川隆景や吉川広家とのネットワークが生まれました。 このネットワークは、天下分け目の関ヶ原でも活かされる事になります。 九州征伐では、平定後に、商 ...

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【諏訪頼忠】果敢に判断力を駆使して大名として復帰する

2021/8/11

諏訪頼忠の革新的な決断で大名に復帰する 一所懸命とは「自分の名字の由来する土地に命を懸ける」という意味・語源の四字熟語です。 戦国時代の武士たちにとって、先祖代々の土地は、自分の命以上に大事で、生死を懸けて守るものでした。 諏訪家と言うとかなりマイナーな信濃の戦国大名家ですが、2021に週刊少年ジャンプで北条時行を主人公にした「逃げ上手の若君」という漫画が始まった事で、広くその名前を知られるようになったと思います。 主人公の時行を助けるのが、鎌倉時代末期の諏訪家当主である諏訪頼重です。 色々と脚色はされて ...

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【番外編#1】現代と戦国時代における後継者としての婿養子システム

2021/5/27

現代でも戦国時代でも、婿養子は有力な後継者獲得システム 婿養子というのは、日本の独特な風習に基づく家名と財産等の相続システムです。 子どもに女子しかいない場合において、家名と財産を存続させるために、娘婿を戸籍上において養子縁組する事を指します。 (現代では、苗字を妻側に変えるだけなのは、財産などの相続権を有しないため、厳密には婿養子ではありません。) 戦国時代や江戸時代では、女子の相続権が認められていないため、男子が生まれない場合は、親戚のものや有力な人材に娘を娶らせて、後継者として迎えいれる事が、一般的 ...

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【今川氏真】公家文化などの無形資産で事業を再構築

2021/8/11

父義元から受け継いだ公家文化で事業を再構築した今川氏真 今川家といえば、戦国時代に当主の義元が、織田信長に敗れた桶狭間の戦いが有名です。 後を継いだ今川氏真が、武に疎く、和歌や蹴鞠など公家文化を愛するあまりに、統治が疎かになって滅亡したと思われています。 父の義元も、お歯黒で輿に乗るなど、公家の風習に被れてひ弱だったため、信長に敗れたと考えられがちです。 実際は、武田家や北条家と渡り合いながら、駿河、遠江、三河を支配し、東海一の弓取りと呼ばれる有能な戦国大名でした。 お歯黒や輿の利用についても、それを許さ ...

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【大友宗麟】キリスト教国建設の野望による組織の崩壊

2021/8/11

宗麟の壮大な野望によって大友家の崩壊を招く 大友宗麟の大友家は、九州の名門の家柄です。 鎌倉幕府の設立ごろの1196年に、大友家初代の大友能直が豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行に任じられています。 他の戦国大名と同様に、家督相続にあたってトラブルがありました。 宗麟は、父と異母弟とその支持派を粛正して大友家中の一本化を図りました。 この時の家督争いのトラウマが後々に影響を与えます。 宗麟は先見性があり、フランシスコ・ザビエルに布教を許すなど、海外との貿易ルートの確保を図ります。 積極的に海外の文化や技術の導入 ...

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【京極高次】転落した守護大名が家名と親族の力で戦国大名に復帰

2021/5/27

家名と親族の力で大名に復帰し幕末まで存続した京極家 現代でも、大手上場企業が業績悪化により倒産し、支援企業の元で業績を回復して、再上場を果たす例があります。 例えば、牛丼チェーンの大手の吉野家は、1980年の倒産からセゾングループの傘下となり支援を受けつつ、1990年に再度上場を果たす波乱万丈の歴史を持っています。 戦国時代にも、似たような経緯で、大名がいました。それが京極家です。 京極家は、守護大名から零落して、信長や秀吉の支援を受けて、戦国大名に復帰し、幕末まで存続しました。 京極高次の京極家は、室町 ...

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戦国SWOT一覧

2021/8/17

戦国SWOTが書籍化。「SWOT分析による 戦国武将の成功と失敗」10/1発売予定

戦国SWOTが書籍化。「SWOT分析による 戦国武将の成功と失敗」10/1発売予定   当ブログで発信してきた戦国SWOTが、ビジネス教育出版社より「SWOT分析による 戦国武将の成功と失敗」として10/1に発売予定です。 戦国SWOTは、「戦国時代×経営者=戦国武将」として、戦国武将の生きざまから現代のビジネスや経営の参考になる知見を見つけ出す事を目的としています。 多くの戦国武将を、現代のビジネスフレームワークのSWOT分析などを使って、分析・考察してきました。 有名な伊達政宗からマイナーの ...

SWOT分析

2021/8/11

関ヶ原編【吉川広家の選択】過去の成功体験の呪縛で失敗

吉川広家の選択によって大減封を受けた毛利家の苦難 毛利家は、三本の矢の逸話で知られる毛利元就が、一介の国人領主から身を起こし、中国地方に覇を唱えました。 長男の隆元に先立たれますが、次男の吉川元春、三男の小早川隆景の二人が、遺児の輝元を支える体制、俗に言う毛利の両川体制で毛利家の勢力維持に努めます。 隆景たちの適切な判断や交渉により、豊臣秀吉との良好な関係構築に成功します。 そして、中国8ヵ国にまたがる領国を安堵され、豊臣政権の強力なパートナーとなります。 関ヶ原直前の毛利家は、秀吉亡きあとの豊臣政権を支 ...

SWOT分析 ブランディング 戦国SWOT一覧

2021/8/17

【伊達政宗】第三代将軍の徳川家光をファンにした独眼竜ブランド

伊達政宗の独眼竜ブランドを活用した生き残り戦略 南奥州の覇者とも呼ばれる伊達政宗ですが、年齢的には織田信長の孫の織田秀信と近いので、信長や秀吉よりも三世代も若い戦国大名です。 若手のイメージの上杉景勝や武田勝頼よりも、かなり若い上に、20代で当主として独り立ちして活動をしています。 織田信長 1534年生まれ 豊臣秀吉 1537年生まれ 上杉景勝 1556年生まれ 毛利輝元 1553年生まれ 織田秀信 1580年生まれ 伊達政宗 1576年生まれ   若干23歳の伊達政宗が南奥州を制覇したころに ...

SWOT分析

2021/8/11

関ヶ原編【小早川家臣】アルコール依存症の秀秋を支えた家臣たち

天下分け目の戦いの中での部下たちの決断 小早川秀秋というと、天下分け目の関ヶ原の戦いで、西軍から東軍に寝返り、徳川家康による権力掌握を決定づけた張本人として有名だと思います。 関ヶ原の戦いでの貢献度から、備前51万石の大領を得たものの、1602年に21歳で急死してしまい、無嗣断絶となり、小早川家は取り潰しとなりました。 アルコールによる内臓疾患、肝硬変が原因だと言われていますが、死因ははっきりとしていません。 ただ、アルコール依存症になったのも、豊臣家の後継者候補であった事で、幼少のころから酒を伴う接待を ...

SWOT分析 戦国SWOT一覧

2021/8/11

関ヶ原編【黒田家の野望】秀吉死後の生存戦略の成功と失敗

豊臣政権という市場での優位性確保を目指す黒田官兵衛 豊臣政権の樹立における初期段階において、諸大名との取次を行う秀吉の側近集団がいました。 豊臣秀長や千利休、杉原家次、蜂須賀正勝、浅野長政たちの中に、黒田孝高こと官兵衛も属して、豊臣家の譜代大名として政権運営を援けていました。 官兵衛は、毛利家との外交交渉に、蜂須賀正勝とともにあたったことで、その後、毛利家中の小早川隆景や吉川広家とのネットワークが生まれました。 このネットワークは、天下分け目の関ヶ原でも活かされる事になります。 九州征伐では、平定後に、商 ...

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現代にも通じる中小大名の生き残り戦略の巧みさ 戦国時代は、乱高下の激しい時の証券市場のように、一つの判断を誤るだけで大損失ならぬ大被害に合い、御家の滅亡に繋がります。 特に、真田家のような10万石以下 ...

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豊臣秀吉や明智光秀を輩出した織田信長の人事制度 戦国時代に、革新的な事績を残した戦国大名と言えば、織田信長を思い浮かべる方が多いと思います。 ただ、昨今の研究では、かの有名な楽市楽座を初めに導入したの ...

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剣術に禅の精神性・思想性を加えて差別化した柳生宗矩 柳生十兵衛が有名な柳生家は、現在の奈良市の柳生町周辺にあった柳生庄の土豪として、戦国時代には松永久秀の配下として、大和国内の戦などで活躍していました ...

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