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【北条のパーパス】関東独立の野望の成功と失敗

北条家の「合議制と法令による関東独立」パーパスの成功と失敗

戦国時代の北条家は、近隣の武田家や上杉家に比べると非常に地味な印象です。

それは、早雲以降の北条家の当主氏康や氏政などに信玄や謙信のような派手さがなかったからかもしれません。

しかし、北条家では、戦国時代につきものの家督争いなどのお家騒動や家臣の謀反などがほぼありません。

北条家の念願または野望とも言うべきパーパスの元で、不満を蓄積させない非常に安定した政治システムを確立しておりました。

そのパーパスが「合議制と法令による関東政権樹立」です。

最終的に、北条氏政・氏直親子の時代には、相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野に加えて常陸・下野・駿河の一部を合わせて約240万石を領します。

 

合議制と法令による関東独立の成功

北条家の創業者である北条早雲の本名は伊勢新九郎と言われており、北条を名乗りだしたのは二代目の北条氏綱の頃です。

これは京への反発心の強い坂東武者を従えるために、全国を支配した鎌倉執権の北条氏の名前を利用したと言われています。

また不満が溜まらないように政権運営には、透明性を高めるために合議制を用いました。

それが評定と呼ばれる政治システムで、小田原評定の由来となるものです。

また領国経営において判断基準を法令(法度)などで明確化して、不平不満を防ぐようにしていました。

さらに中央からの介入を嫌う坂東武者の夢でもある関東独立を北条家の目標に掲げました。

これらが受け入れられた事で、戦国時代であっても北条家では家督争いや謀反などが起こりませんでした。

初代早雲から5代目氏直までスムーズに事業承継され、上杉家や武田家、佐竹家などと争いながら、室町幕府の鎌倉府とほぼ同じエリアを支配下に置くことに成功しました。

最終的に、その領域は約240万石にまで達しました。平将門の勢力範囲と近いものでした。

平将門の勢力範囲図:壬生町/地域史料デジタルアーカイブ

 

パーパスのデメリットによる失敗

パーパスのメリットは、参加メンバーのモチベーション向上や幸福度向上などがあります。

一方でパーパスのデメリットとして、成功すればするほどパーパスの変更が難しくなり、逆に縛られて行動が制限されていく点です。

メンバーは組織が掲げるパーパスの元に参加しているため、パーパスが消滅すればその組織に参加している意義を失います。

これは戦国時代でも同様に、「合議制と法令による関東政権樹立」というパーパスが、今度は北条家を窮地に追い込んでいくことになります。

1582年の本能寺の変で織田家からの外圧から解放されますが、すぐに全国統一を目指す豊臣政権との軋轢が生まれます。

豊臣政権との共存を図ろうとするものの合議制による方針決定に遅れや迷いが生じてしまいました。

豊臣政権への臣従は、関東独立政権という目的の放棄が前提条件となり、それは北条家の存在意義を失う事になるからです。

徳川家、上杉家、伊達家などは、豊臣家への臣従の結果、転封を求められています。

北条家も臣従すれば、いずれは東北などへ転封させられていた可能性は高いです。

結果、関東独立のパーパスの元で団結しているため、最後までこのパーパスを捨てる決断をできずに、豊臣政権による小田原征伐を招いてしまいました。

 

まとめ

北条家の成功と失敗には「合議制と法令による関東政権樹立」というパーパスが大きく関係しています。

これは非常に興味深い事例だと思います。

戦国時代に家督争いや謀反が起きないほど安定した統治を生み出していたパーパスが、逆に北条家を滅亡へと導いてしまいました。

パーパスの変更は非常に難しいものですが、外部環境や市場の変化に合わせて行う必要があります。

北条家は、当主のカリスマ性を必要としないほどパーパスの元でシステム化されていた事で、環境変化に合わせる事ができませんでした。

組織風土にまで根付いたものを変更するには、当主や経営陣が強権に近い形で転換するパワーが必要になります。

それはある程度の離反や反発なども計算の内に入れておくべきです。

これを上手く行ったのが、上杉家や伊達家などです。

景勝や政宗による当主のカリスマ性やパワーで半分強引に方向を転換させて戦国時代を生き残りました。

どちらも臣従する際にあっさりと関東管領や奥州統一を捨てています。

最近、企業でパーパスの設定が増えてきています。北条家の事例は、現代の企業が大きな環境や市場の変化での行動の参考になると思います。




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