SWOT分析 理念

【大友宗麟】キリスト教国建設の野望による組織の崩壊

宗麟の壮大な野望によって大友家の崩壊を招く

大友宗麟の大友家は、九州の名門の家柄です。

鎌倉幕府の設立ごろの1196年に、大友家初代の大友能直が豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行に任じられています。

他の戦国大名と同様に、家督相続にあたってトラブルがありました。

宗麟は、父と異母弟とその支持派を粛正して大友家中の一本化を図りました。

この時の家督争いのトラウマが後々に影響を与えます。

宗麟は先見性があり、フランシスコ・ザビエルに布教を許すなど、海外との貿易ルートの確保を図ります。

積極的に海外の文化や技術の導入や貿易による経済力の強化を行いました。

そして、宗麟の時代に、大友家の版図は、本拠地の豊後に加えて、筑前、筑後、豊前、肥前、肥後を支配下におきました。

宗麟の時代に、大友家史上で最大の6か国に及ぶ版図を築き、九州統一に一番近い存在になりました。

戦国時代においても、織田信長や毛利元就と並ぶほどの優秀な戦国武将であることは確かです。

ただ、富国強兵のために、キリスト教に触れていくうちに、ある野望を抱き始めます。

宗麟自身もキリスト教に入信し、ドン・フランシスコと洗礼名を受けるほどに、のめり込んでいき、日向国にて、キリスト教国の建設という野望を持つようになりました。

これが、大友家の凋落のきっかけとなる耳川の戦いにつながります。

リーダーの野望に振り回される組織

1577年に、日向の戦国大名伊東義祐が、島津家に追われて、宗麟を頼って、豊後に逃れてきました。

宗麟は、伊東家の旧領回復の願いをかなえるとともに、日向にキリスト教国の建設を思い立ちます。

本拠である豊後では、既存勢力とのしがらみがあるため、新しく占領下におく日向での実現を目指して、行動を開始します。

宮崎県の北部に進駐すると、地域の寺社仏閣を破壊し、仏像や経典などの文化財までの灰燼に帰したようです。

異教徒に対する過激な占領政策と同じことをしています。

大友家内部は、宗麟がキリスト教へ傾倒していく中で、キリスト教に反感を抱く者たちが増えていきました。

元々は、南蛮貿易で、火薬を作るのに必要な硝石や、珍しい奢侈品などを輸入するために、ポルトガル人宣教師の国内布教を許していました。

ついには、宗麟自身が入信してしまいます。他の派閥争いと相まって、家臣の中から離反する動きがでてきました。

大友家は、家中の統制が取れていない状態で、日向国の耳川にて、島津家と対峙することになりました。

しかも、大友家内部は、島津家との講和派と交戦派に分かれて、意見がまとまらない状況でした。

そして、一部の交戦派が勝手に戦端を開いてしまい、大友家全軍が引きずられるように戦闘を始めてしまいます。

統制の取れた島津家の伏兵を使った作戦に敗れて、宗麟は、多くの重臣を失うほどの大敗を喫しました。

鎌倉以来の名門大友家の凋落が始まります。

 

名門のプライドを捨てて豊臣家の軍門に下る

耳川の戦いでの大敗を受けて、豊後以外の豪族たちは、大友家から離反、独立していきました。

大友家の勢力は激しく低下し、豊後一国とその周辺のみとなりました。

逆に、島津家は、耳川の戦いでの勝利を契機にして、九州統一事業を開始します。

各地の豪族を糾合しながら、1584年に現在の長崎県の肥前島原で、沖田畷の戦いで龍造寺家を破りました。

島津家は、龍造寺家の残党も傘下に収めて、大友家の各城に攻勢をかけていきます。

有能な立花道雪を病気で亡くし、家中の統制力も失い始めていた大友家は、各城に籠城して抵抗するぐいらいしかできない状況にありました。

宗麟は、名門のプライドを捨てて、どこの馬の骨ともしらない豊臣秀吉に助けを求めて上洛します。

ついに、創業390年の老舗の大友家が、豊臣家という巨大な新興企業にひれ伏して、その子会社になりました。

宗麟の無謀な野望をきっかけとして、最大で6ヶ国まで支配下においた大大名が、豊臣政権に豊後を安堵される一大名へと転落するはめになりました。

宗麟自身は、島津家の敗北を見る前に、亡くなってしまい、大友家の結末を見届けることはありませんでした。

子会社となった大友家は、その後の文禄の役での不戦行為を咎められて、改易させられて、大名としての大友家は消滅します。

リーダーの暴走が組織の崩壊を招く例の一つと言えます。

 

まとめ

宗麟のキリスト教国の建設の野望が、大友家の崩壊を招いたように、現代でも、経営者の無理な挑戦によって、会社を危機に陥らせることやよくあります。

最近では、大塚家具が、この例に当てはまります。

社長や経営陣の号令の元、低価格路線への転換に失敗し、大きく業績を悪化させました。

また、ベテラン従業員の離職による組織力の低下も起こり、最終的には、ヤマダ電機に買収されて子会社化されました。

リーダーの野望は、常に現実の状況とのバランスが重要となります。

あまりに現実とかけ離れ過ぎると、市場が追い付いてこれずに、失敗する可能性は高くなります。

また、従業員やスタッフとの意思統一や目的の共有ができていないと、不満や不安によるモチベーションの低下につながり、組織力を大きく低下させます。

もし、大友家の家臣たちが、全員キリスト教の信徒であれば、キリスト教国の建設へのモチベーションも高く、耳川の戦いでの混乱も起きなかったと思います。

リーダーの野望は、自社を取り巻く状況との絶妙なバランスと、社内への浸透と理解が重要になります。

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