情報とネットワークを活用してに10年越しに大名として旧領回復
戦国時代の常として、勢力を拡大して繁栄したいたのに、急成長した周辺国や敵対勢力に攻められて、国を失うのは日常茶飯事です。
それは現代の企業においても、一定の市場シェアを獲得していたのに、急成長を始めた競合にシェアを奪われて業績が悪化して倒産する事は当たり前に起きる事です。
まれに、倒産した企業が持つブランド力や情報、ノウハウが評価されて、資金力が豊富な巨大な支援企業が表れる事があります。
最近では、資金や人的、物的な支援を受けながら、自社の強みを活かして経営の回復に成功した例として、再上場に成功したマックスバリュ東海や吉野家があります。
戦国時代における伊東家も、隣国の島津家によって奪い取られた領地を、豊臣秀吉の強力なバックアップを受けて、10年後奪い返す事に成功し、幕末まで独立大名として存続しました。
これは、マックスバリュ東海がイオングループの支援を、吉野家がセゾングループの支援を受けて、数年かけて経営再建し、再上場を果した事例に似ています。
1568年 | 父伊東義祐が島津貴久を圧倒し日向国を支配 |
1577年 | 島津義久に敗北し豊後の大友宗麟の下へ逃亡 |
1578年 | 大友宗麟も島津家に大敗し、伊予河野氏の下へ逃亡 |
1582年 | 秀吉の家臣となり山崎の戦いに参加し武功を挙げる |
1587年 | 秀吉による九州平定の先導役となり旧領飫肥で大名に復帰 |
1600年 | 西軍から東軍に寝返り本領安堵される |
飫肥藩の大名として返り咲いた伊東祐兵の伊東家が有していた強みは下記に2点です。
- 家柄を活かした人的ネットワーク
- 豊後~日向ルートの地理的情報
今回は、伊東家が如何にして大名として復帰に成功したのかを考察したいと思います。
人的ネットワークを活用して大勢力織田家の傘下に
隣国薩摩の島津義久・義弘の兄弟による攻撃によって、伊東義祐と祐兵の親子は、領地の飫肥・佐土原から脱出し、豊後の大友宗麟の庇護を頼ります。
伊東家は、室町時代に足利尊氏の命によって日向国に下向した由緒ある武家である事から、豊後守護職の大友家などの名族とのネットワークを有していたようです。
大友家が耳川の戦いで島津家に大敗北した後も、伊予守護職の河野家を頼るなど、その名族のネットワークを活用しながら庇護を求めて流転します。
ちょうどそのころ中央では新進気鋭の織田信長が勢力を拡大していましたが、織田信長は守護代の庶流からの成り上がりのため、今までのようなネットワークが通じません。
しかし、偶然にも、織田家の中国方面軍の司令官をしていた豊臣秀吉の側近に、同じ先祖を持つ伊東掃部助がいた事で、そのルートを辿って秀吉の家臣となります。
破産した地方の伝統ある企業が、巨大な資本力を持つ企業の子会社として吸収される形のようになりました。
そして、豊臣家の家臣となった伊東祐兵たちは、山崎の戦いに参加して恩賞をもらうほどの活躍を見せるなど、豊臣政権内で結果を出していきます。
この豊臣政権樹立のきっかけとなる天下分け目の戦いに参加していた事は重要なポイントになります。
情報という経営資源をフル活用して九州征伐の先導役として活躍
四国平定を終えて着実に天下統一に近づいた豊臣政権に島津家の猛攻に耐え切れない大友宗麟からの救援依頼が来ます。
この九州平定は、豊臣家の家臣となっていた伊東祐兵の今までの経験や情報が活かされる大きなチャンスとなりました。
かつて、島津家との長い闘いに敗れて、日向の飫肥・佐土原から、豊後の大友宗麟の下へと命からがら逃げた経験と情報が逆に貴重なものと評価されて、九州平定の先導役に任命さる事になりました。
九州に縁の少ない豊臣政権にとって、伊東祐兵は秀吉家臣として山崎の戦いに参加していた実績もあり信頼に足りる存在でした。
また大友宗麟の庇護を受けていた事もあり、大友家の内情にも詳しく、島津とも永年抗争を繰り広げていた過去も合わせると、九州における豊臣政権の代官役としてはうってつけでした。
そして、平定後は、島津家の監視役として、隣国で旧領でもある飫肥地方に知行地を割り当てられ、5万7千石の独立大名として20年ぶりに復帰に成功しました。
豊臣政権という巨大な勢力の支援を受けながらも、永年の伊東家の宿願である旧領での大名復帰を達成しました。
まとめ
日向国を支配する地位から島津家との戦いに敗れて流浪の身にまで落ちて大名として復活した伊東家のような例はあまり多くありません。
伊東家が味わった日向や伊予へと流転した経験や、名族ゆえの人的ネットワークが、時代が変わると、強力な強みとなったという点を考えると、現代において倒産してしまった企業が持っている強みは、時代に合わせたり視点を変えて再生すると、非常に価値のあるものに生まれ変わるという良い例かもしれません。
あと、島津家に敗れた後も、復帰する事を諦めずに行動した執念を持ち続けた事が重要で、10年という時間が掛かりましたが、最終的に大名としての復帰に成功した秘訣だと思います。
現代でも、一度倒産をしてしまった企業が、往年のように復帰して市場で存在感を示せられた例は少ないでしょう。
しかし、もし倒産させてしまったとしても、経営者として諦めずに再度チャレンジする姿勢や気持ちこそが大事だと、この事例は教えてくれているように思います。
ちなみに日向を席捲するほど勢力を誇っていた伊東家が島津家に敗れたのは、先代である父の伊東義祐が勢力拡大とともに奢侈に溺れて、政治を疎かにしてしまった事が原因です。
これも現代ではよくある光景ですので、ここからも学びがありそうです。
モリアド代表 中小企業診断士
前職にて企業の海外WEBマーケティングの支援に従事。独立後に中小企業診断士の資格を取得し、主に企業の経営サポートやWEBマーケティングの支援等を行っている。
2019年から、現代のビジネスフレームワークを使って戦国武将を分析する『戦国SWOT®』をスタート。
2022年より、歴史人WEBにて『武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」』を連載。
2024年より、マーケトランクにて『歴史の偉人に学ぶマーケティング』を連載。
著書に『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』(ビジネス教育出版社)。