番外編

【番外編#1】現代と戦国時代における後継者としての婿養子システム

現代でも戦国時代でも、婿養子は有力な後継者獲得システム

婿養子というのは、日本の独特な風習に基づく家名と財産等の相続システムです。

子どもに女子しかいない場合において、家名と財産を存続させるために、娘婿を戸籍上において養子縁組する事を指します。

(現代では、苗字を妻側に変えるだけなのは、財産などの相続権を有しないため、厳密には婿養子ではありません。)

戦国時代や江戸時代では、女子の相続権が認められていないため、男子が生まれない場合は、親戚のものや有力な人材に娘を娶らせて、後継者として迎えいれる事が、一般的に行われていました。

家名を安定的に存続させるために、優秀な後継者の血を入れるためにも活用されています。

現代においても、企業の経営者に男子がいない場合に、婿養子を後継者とすることが良く見られます。

この婿養子による事業承継が、入山章栄氏の著作である「ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学」において、優れた事業承継システムであると書かれています。

 

婿養子の同族企業の業績は高い

なぜか日本では、同族企業はネガティブなイメージを持たれがちですが、欧米では一般的な事業形態として受け入れられています。

しかも、「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」に記載によると、アメリカの研究者による同族企業の業績に関する研究調査の結果、非同族企業よりも同族企業の方がROA(総資産利益率)が高いと書かれています。

日本の一般的なイメージとは違った結果となっています。

その中でも、同族企業の業績が高い傾向になる理由として、下記が考えらえます。

①株主と経営者が同一であったり、同族である事で、戦略に大きなブレが生まれないため経営が安定する。

②短期的な利益に執着しなくてもよく、長期的な視点での戦略や施策が行える。

ただ、同族企業のデメリットとして、後継者の資質を問われる事なく、自動的に事業承継される危険性があります。

この同族企業の欠点を補くのが、外部の優秀な人材を婿養子として、事業承継させる事です。

こちらも調査結果によると、婿養子を後継者とした企業は、そうでない企業と比較するとROAや成長率が高くなる傾向が出ています。

実例として、アシックスの尾山基氏、松井証券の松井道夫氏、スズキ自動車の鈴木修氏が、著名な婿養子の経営者です。

そして、戦国時代や江戸時代でも、家を守るために、優秀な婿養子を迎える例は多くあります。

「ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学」

戦国時代と江戸時代の婿養子

戦国時代や江戸時代では、家名を存続させるために、婿養子はさかんに行われていました。

磯田道史氏の有名な著作「武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)」の主人公の一人である猪山信之も、婿養子として猪山家を継いでいます。

信之の生家の藤井家は、陪臣身分でしたが、兄は御算用者として直参に登用されるほど、算用の実力を高く評価された家でもありました。

御算用者である猪山家にとっては、申し分ない能力の持ち主でした。

元々、信之が仕える加賀藩では、養子・婿養子が家督を継ぐ割合が35%を占めていました。

江戸時代では、家名の存続のために、優秀な男子を婿養子として迎え入れることは、当たり前の事となっていました。

信之以外にも、有名なところでは、下記のような例があります。

本人実父
上杉鷹山秋月種美
大岡忠相大岡忠高
水野忠成岡野知暁
松平容保松平義建
松本良順佐藤泰然
山岡鉄舟小野高福

 

戦国時代にも同じように婿養子を迎えて家名を存続させた例があります。

ただ、名門の豪族を支配下に置くためや、縁戚関係においておくために強引に婿養子として子どもを送り込む例がありますので、やや江戸時代とは少し趣に違いがあります。

小早川隆景はまさにそのパターンですが、立花宗茂はその器量を見込まれて、養父の立花道雪の願いによる婿養子でした。

本人実父
立花宗茂高橋紹運
小早川隆景毛利元就
直江兼続樋口兼豊
直江勝吉(本多政重)本多正信

「武士の家計簿」

 

まとめ

現代でも効果的だと評価されている施策やシステムが、実際は戦国時代や江戸時代でも活用されている例は多くあります。

今回の婿養子というシステムも、江戸時代では家名の興隆や家禄の維持のために、よく活用されていました。

また、そこで優秀な婿養子を迎えたことで、その活躍により禄が増えて、家格が上がった例も少なくありません。

現代でも、婿養子を迎えて、業績を拡大させている同族企業も少なくなく、戦国時代や江戸時代との共通点が多いのは、非常に興味深いです。

また、これが日本独特のシステムであることも面白いです。

ただ、最近では、恋愛結婚が当たり前となってきた事で、優秀な婿養子を迎え入れるハードルは高くなりつつあるため、同族企業の新しい事業承継の方法として、プロの経営者に会社の舵取りを任せる例も増えつつあります。

どちらにせよ、事業の永続性という点では、外部から優秀な人材を招く事も重要な戦略です。




人気の記事

1

伊達政宗の独眼竜ブランドを活用した生き残り戦略 南奥州の覇者とも呼ばれる伊達政宗ですが、年齢的には織田信長の孫の織田秀信と近いので、信長や秀吉よりも三世代も若い戦国大名です。 若手のイメージの上杉景勝 ...

2

現代にも通じる中小大名の生き残り戦略の巧みさ 戦国時代は、乱高下の激しい時の証券市場のように、一つの判断を誤るだけで大損失ならぬ大被害に合い、御家の滅亡に繋がります。 特に、真田家のような10万石以下 ...

3

豊臣秀吉や明智光秀を輩出した織田信長の人事制度 戦国時代に、革新的な事績を残した戦国大名と言えば、織田信長を思い浮かべる方が多いと思います。 ただ、昨今の研究では、かの有名な楽市楽座を初めに導入したの ...

4

剣術に禅の精神性・思想性を加えて差別化した柳生宗矩 柳生十兵衛が有名な柳生家は、現在の奈良市の柳生町周辺にあった柳生庄の土豪として、戦国時代には松永久秀の配下として、大和国内の戦などで活躍していました ...

-番外編